もの消費とこと消費
付加価値の農業を否定する気はないが、それありきにしてしまってはダメじゃないか?基盤に生産型の農業があるからこそじゃないのか?
そう考えを言ったらある方がこう話してくれた。
もの消費とこと消費の考えですね
なるほど!!!!!
今までそんな言葉にしたこと無かったけど、ものすごくスッキリした一言でした。
もの消費の基盤があるからこそ、こと消費に目が向くようになる。これこそ日本の豊かさを表しているのかも。
でも、付加価値があれば高く売れるでは脆い気がする。
安く大量に作る。そこには技術や経験といった言葉では表現出来ないものがあると思う。病気になってしまってはすべて無駄になるし、出したいサイズの規定に合わせて出荷時期を見極めなければならない。自然相手でそう簡単にはいかない。
もの消費の基盤を保つために農家の方々の努力がある。
こと消費に目がいって、もの消費の基盤が崩れてしまったら。安く買い叩かれてしまっているものもあるだろう。そういった野菜に正当な値段が付けられていってほしい。
かという私も学生一人暮らしで安い野菜を買う消費者の1人である。偉そうなことは言ってられない。
しかし、そんな私が大切にしているのは
美味しく食べること。傷ませないようにすること。
つくり手の顔が見えるとか見えないとか、つくり手のことを考えるとか、そんなこと作ってる側は関係ない。美味しく食べてくれること。それこそ重要だと思う。
(これは私個人の見解です笑)